深大寺道 調査途中経過 その1
もう随分昔に書いてから続編が無いので、
とっくに飽きたのかと思われてたかも知れないけど…
実はちょくちょく調査してたりしてました。
で、今回はその途中経過などを報告しようかなと。
導入については、以前のエントリを参照してもらうとして…
○成り立ちについて
深大寺道の詳しい記述のある書籍としては、
芳賀善次郎著の「武蔵古道ロマンの旅」がある。
これによると、深大寺道は室町から戦国期にかけて拓かれた軍道だという。
しかし、調布市教育委員会著の「調布の古道・坂道・水道・橋」によると、
深大寺道として紹介されている道は、「鎌倉街道」に分類される道だという。
つまり、鎌倉時代にはすでにあったものであるとされている。
ただ、ここで言う鎌倉街道は、いわゆる鎌倉上下中道のことではない。
# 詳細は、Wikipedia参照のこと。
むしろそれらにつながる間道であろうと考えられる。
とはいえ、
鎌倉街道は一種のステータスシンボルとして考えられていた時代もあり、
あくまでも「伝鎌倉街道」である事を忘れてはならない。
以上、成り立ちについては、今一歩調査が必要である。
○用途について
前出の「武蔵古道~」によれば、「軍道」となっているが、
一般的な解釈は「深大寺参詣道」とのことだ。
確かに、深大寺の開創は奈良時代(733年)。
深大寺城の築城が室町時代(1537年)。
ここから考えると、軍道であった以前に参詣道として確立していた
と考える方が自然ではないかと思われる。
この点も要調査である。
○石像遺物など
遺物と言っても、江戸に近い時代になってからの物が多いので
直接成り立ちなどを知ることは出来ない。
以下のようなものがあることを確認している。
・六角地蔵石幢
西武柳沢駅北西の富士街道との交差点にある。
江戸時代の建立。道標を兼ねる。
・道標
武蔵野大と田無工高の交差点の路傍にある。
「西 府中道 / 南 ○大寺」との記述があるとのこと。
存在は確認しているが、記述は確認できず。
・石塔(?)
中央線との交差部、南側にある。
通勤路なので、ほぼ毎日見ているが、
風化が激しく、確認できない。
庚申塔だろうか?
・庚申塔
三鷹通りとの合流部の直前に存在。
寛延元年(1748年)の建立。
江戸中期のため、青面金剛の造作もはっきりと残っている。
そのうち、途中経過 その2を書きます。
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